久しぶりに新聞のサイトに行ってみたら盲人の活躍についての記事が2つ載っていた。
保育士採用試験:全盲女性を門前払い 大阪市
http://mainichi.jp/select/wada ......

全盲ピアニスト:深みある音楽、作りたい 辻井さんに文化庁長官表彰
http://mainichi.jp/select/wada ......

この2つの記事を読んで感じたことは、健常者の概念で障がい者には難しいと判断していることを健常者以上の努力をしてやってのけることへの尊敬の気持ち。
障がいを持っているということが、すべてを持っている健常者にはとてつもなく気の毒なことと思われがちだけど、人間の体というのは不思議ですばらしい。
視覚が低下している体は他の感覚、聴覚や触覚・嗅覚が健常者以上の発達をする。
聴覚が低下している人の視覚の範囲は健聴者よりも広い。これは手話通訳の学校で習ったことの一つで、娘にしても180度はある。微妙な空気の動きや明るさにも敏感だ。
健聴者の場合は耳で察知する角度というのがあるので正確な度数はいえないけど、視覚の角度は180度はない。
本人も、周りも、障がいがある、という認識をすることも大切。
健常者に対して障がいがあることに引けを感じたり、攻撃的に接しても、障がいがあることには変わりはないから無意味でネガティブなエネルギーの使い方だ。
自分にはこういう障がいがあってできないことはこれ、と認識することは自分を知ることでもあり、一人の人間として生きていくうえでとても大切なこと。
この障がいと共に健常者が使う「ノーマライゼーション」という言葉の意味をどう理解し、生活の中にいかすのか、そして、それを新聞の記事のように、障がい者に直に接したことがない人々や、お役所関係に伝えていくということも必要。
障がいがあることや周りの理解のなさで、フラストレーションが溜まったり、怒りをおぼえることも多いだろう。
ネガティブな偏見も、ポジティブな偏見も、根本的な知識のなさから生まれる。
その誤解を解くのは、障がい者本人と家族、障がい者に携わってる人たちの責任と使命でもあると私は思ってる。
それをしないで世間に向けて怒りをぶつけたり、文句を言うのは結果の出ない、自分の心が貧しくなるだけの行為だと思う。
障がいがあってかわいそう、とか、あるからできないと決め付けられる概念を変えていくには、感情的な訴え方や同情を引くような訴え方ではなく、冷静に、理論的にわかりやすく障がいについて、または今の社会に欠けてること、そして否定的なことだけではなく、障がいがあってもできることなどもユーモアも交えて伝えていくことだ、と思って「丁抹よろず」の方で時々聾の娘について書いている。
エグモントの卒業生は留学中たくさんの障がい者やヘルパーとの生活で、そんな日本の概念や世界中の健常者の概念を吹っ飛ばすような体験をたくさんしてきてるはず。
このエグモントよろずで記事にして伝えていきましょうよ。
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