ゆたかとエグモント
デンマーク エグモント教員片岡豊によるWEB日記
2007/02
25
ミカエルとオーフス制度 −4
大きな責任
外は暗くなってきた。トマスが台所で夕食の準備をしている間、居間でくつろぎながら、今晩何をするかあれこれ考えていた。
突然、電話がかかってきた。「ケニーです。体調が悪いので、申し訳ないけれど、明日、仕事に出るのは無理だと思う。」という内容だった。ゆっくり養生するように伝え、体調が回復した後に、次の勤務をいつにするかを話し合うことにした。
電話機を置くと同時に「困ったな」と愚痴が出た。そして頭の中を考えが走り回った。誰が替わりに勤務をしてくれるだろうか、明日の日程はどうなっていただろう。臨時ヘルパーが誰も勤務できなかったらどうしよう。
トマスを呼んで、他のヘルパーに携帯電話でショートメッセージを送ってもらうことにした。テクノロジーの発展のために、ヘルパーに連絡を取るのは簡単になった。トマスが全員にメッセージを送り終わるか終わらないうちに、最初の返信が来た。トビアスは残念ながらできないという内容だった。
それから1時間ほどは、携帯電話にひっきりなしに連絡があった。やっと最後に、クリスチャンが可能だと連絡があり、やっと心臓の脈が落ち着いてきた。そしてトマスは夕食の仕上げに取り掛かることができた。
「オーフス制度」では、自分の人生に対する責任が伴う。この責任とは、日常的には何を食べるとか、何をするとかいうごく些細なことを決めることだが、反面、何か嫌なこと、面倒なことが起きたときにも伴うものでもある。予期しなかったヘルパーの辞表や病気、あるいは長い間つもり積もった苛立ちなどだ。それはユーザーが誠意的に解決しなければならない不一致であったり衝突であったりする。
どちらにしても、ユーザーの肩にどっしりと重い責任がかかってくることが感じられる。確かに責任は大きい。そしてそれがオーフス制度の本来の前提だ。より大きい自由は、より重い責任を受けもつことによってのみ得られるのだ。
「オーフス制度」の導入当初から、ユーザーはこの重い責任を引き受けることを了解していた。
しかし重い責任には難しいディレンマがしばし伴う。ヘルパーの病欠届け快く受けると同時に、ヘルパーに対する依存性という問題をどのように扱ったらよいのか。病欠の届けと代替を見つけるまでの時間は、ユーザーにとっては最悪の状況の一つだ。しかし、代替を選ぶ自由は、他の自由と同様に、不安を感じるという短所よりより善いものだ。重い責任に伴う自由を破棄するユーザーはほとんどいないだろう。
デンマークの近隣の国では、ここ数年、オーフス制度を別の形で発展させている。スウェーデンやノルウェーのモデルは、デンマークのそれよりより多くの選択肢を与えている。オーフス制度のように自分で事業主になるか、あるいは雇用権を他に委託し、職場の「リーダー」としての役割のみを受け持つかを選ぶことができる。
たとえば「職場リーダー」としての役割のみを選ぶ場合は、自治体の福祉事務所か、障害者によって経営されている協同組合形式のヘルパー派遣団体(アメリカが発祥の自立生活支援センターに相等)か、あるいは完全に民間の会社がパーソナル・アシスタント派遣事業主となることができる。
デンマークのユーザーにも雇用主としての煩わしい業務と責任から逃れたいという人がいる。デンマークの「オーフス制度」は、雇用主として全責任をもつ意志と能力のある障害者のみが対象となっている。大きな責任のもとにオプティマルな自由を求めているユーザーは多くいるので、その可能性はもちろん、維持するべきだろう。しかし、あまり大きな責任を持つことを望まない、あるいは出来ないユーザーも多くいることは確かだ。より多くのユーザーが利用できるパーソナル・アシスタントの制度を、今後、デンマークでも開発するべき必要性はあるだろう。
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